頭蓋底手術研修

1996年に網走脳神経外科病院に赴任した谷川は理事長の橋本政明先生の先見の明により,網走でのすべての脳神経外科診療を任されました.1993−94年に旭川赤十字病院の上山博康先生に師事して以来,上山先生の手術を追い求めるように,脳血管障害,脳血行再建術の手術に没頭し,2000年にはほとんどの脳血管障害の手術に対応出来る能力を身につけることが出来ました.1999年の11月に当時まだ旭川赤十字病院におられた上山博康先生から電話があり,「2000年2月にハワイで福嶋孝徳先生の主宰するPanpacific Neurosurgery Congressがあるから,お前も何か準備して発表しろ」とハワイでの国際学会への誘いがありました.正直,この当時私は英会話は全く自信がなく,英語での学会発表は勘弁してほしいなと思いましたが,師匠の命令ですので,なんとか一つ英語で発表出来る演題を準備して,ハワイに向かいました.この時私は38歳でした.38にもなって,まともに英会話も出来ないのですから,情けない話ですが,直前に発表する手術ビデオに合わせて,発表内容を暗唱できるように,何十回も練習を繰り返して,当日の発表を迎えました.この学会が私の国際学会初デビューだったのですが,学会参加者はどちらかというと,福嶋孝徳先生門下の世界中の先生方が主に頭蓋底手術の講演をしていました.その中で,上山博康先生が日本ナンバーワンの脳血管障害手術の術者ということで招かれ,そのお陰で未熟者の私にもお鉢が回ってきたということでした.会場の雰囲気はさすがハワイ,皆さん非常にリラックスした感じで,いつも学会のつもりでスーツを着込んでいたのは,私達くらいでした.

私の発表は問題く終了しホッとしていると,セッションの合間に福嶋先生が何やらCDROMを配って歩いていました.そのCDROMには1998年に刊行された"Fukushima Skull Base Manual"がpdfファイルで保存されており,すぐにパソコンで閲覧できる状態でした.それと一緒に年2回FloridaのWest Palm beachで開催しているCadaver Dissection Courseの案内も同梱されており,ひとしきり配布が終わった後に福嶋先生が「頭蓋底手術は実際の患者さんの手術に臨む前に,十分なcadaverでのdissectioを練習してからでないと安全な手術は出来ませんから,皆さん,特に若い先生方はぜひ私のcourseに参加して勉強してください」と仰っておられました.これは自分のことだとすぐに思いましたので,その3ヶ月後5月にあったWest Palm Beachでのcadaver courseへの参加と,その後福嶋先生の拠点病院のあるLareighとDuke大学での手術見学を1週間追加して帰国しました.初めてのcadaver dissection courseではそれまでウル覚えだった頭蓋底解剖が実は全く理解できていないことに気付かされ,実際にcadaverをdissectionしてみると,福嶋先生のやるようには出来ない自分に愕然としたのを覚えています.この時です,脳血管障害の動脈瘤クリッピングや脳血行再建とは全く別の訓練が頭蓋底手術習得に必須であることを実感しました.生半可な訓練ではものに出来ないなと悟った私はその後4回連続して半年ごとにWest Palm Beachのcadaver courseに参加することを決意します.当時のFukushima cadaver dissection courseの参加料が1200ドル,格安航空券でエコノミー往復料金が3000ドル程度(この当時は米国内線のほうが成田間の国際線より高いことが多かった,911後はセキュリティ自体が厳しくなり航空運賃も高騰した覚えがあります)で,ホテル宿泊代が4泊5日で500ドル程度でしたので,一度cadaver courseに参加すると50万円はかかっていたことになります.これまで約20回程度はこのコースに通って,頭蓋底手術の訓練を行ってきましたのでざっと1000万円は下らない投資を自分にしたことになります.

しかし,この投資は決して無駄ではなかったことが,約18年経って実感しています.頭蓋底腫瘍の手術のみならず,脳血管障害手術を20世紀の手術レベルから21世紀のより安全な手術レベルに引き上げるのに頭蓋底手術技術が大きく約に立つことが多くなり,この20年で培った頭蓋底手術解剖の知識を今私のもとに集ってくる世界中の若い脳外科医に教えることが出来るようになりました.

 

谷川緑野にとっては上山博康先生は脳血管障害,特に脳血行再建手術の,福嶋孝徳先生が頭蓋底手術の師匠です.私にとっては30代で二人の巨匠に出会うことが出来たことが,脳外科医としてだけではなく,私の人生そのものを変えるきっかけとなりました.