札幌禎心会病院脳神経外科での若手脳外科医の研修

明けましておめでとうございます.本年もよろしくお願い申し上げます.

早いもので1年以上にもわたりブログの更新を怠ってしまいました.忙しさにかまけて,ついついおろそかになっておりました.出来るだけ日頃の診療や生活の中で気付いたことを,綴って行こうと思っています.

過去記事として掲載した内容は,STV(札幌テレビ)との共同企画で行っているSTV医療セミナーで,何度も話していることですが,今後も動脈硬化をいかに防いでいくかについては,適宜情報を更新して行きたいと思っています.

 

あまりご存じない方も多いかもしれませんが,私が率いる禎心会病院脳神経外科(脳卒中センター)には常時4−6人の外国人が滞在しています.彼らは脳神経外科医または脳神経外科を志望する外国人医学生ですが,各人の所属する大学病院や施設の許す期間によりますが,数ヶ月から2年程度の間,私のもとに脳神経外科研修の機会を求めて集まっています.一番多かった時期は昨年夏の10人だったと記憶しています.出身国はまさに多国籍状態で,北米はカナダと合衆国,南米はメキシコ,ベネズエラ,コロンビア,チリ,アルゼンチン,ブラジル,ペルー,欧州はイギリス,フランス,スペイン,イタリア,ドイツ,チェコ,ポーランド,クロアチア,セルビア,スイス,ベルギー,フィンランド,ノルウェー,スウェーデン,ロシア,中東はイラン,イラク,エジプト,シリア,アジアはインド,バングラデシュ,タイ,マレーシア,シンガポール,ベトナム,香港,中国,台湾,韓国,オーストラリアと,ほぼ世界中の20代後半から30代の若手脳外科医が私のもとに集まってきます.これほど多くの海外の先生方が数カ月間地球の端っこにある日本の札幌,しかも,冬には積雪が2m程度になる豪雪都市に集まってくるのは,彼らが谷川の行っている脳動脈瘤治療や脳血管バイパス術,その治療をより効果的に駆使することができる頭蓋底外科手術を学会という限られた発表時間では見ることの出来ない,谷川はじめ私のもとに日本全国から同じ目的で集っている同年代の若手日本人脳外科医が,どのような生活の中で,どのようにして高度な脳神経外科手術を習得しているのかをなんとか目の当たりにしたい,という強い熱情に駆られてのようです.毎日私のところに世界各国の脳外科医から,同じような研修のチャンスをあたえてほしいという電子メールが届きます.もちろん,各自の高い向上心があってのことではありますが,海外の研修制度ではお国によって制度は違いますが,数カ月から2年程度の海外研修を推奨する制度が国レベルで整備されており,その制度によっては日本への渡航費や滞在費が出る場合もあるようですが,これまで私のもとに集まってきた先生方のほとんどは旅費も滞在費用もすべて自腹で負担していました.まだ,30代前半が大半ですので,彼らにとっての日本への旅費は相当高額なものになりますが,それでもあえて私のもとに集まってくる彼ら若手脳外科医の情熱には感心させられます.

一方,3ヶ月に一度程度,日本人若手脳外科医も手術見学に訪れますが,滞在期間は1日から1週間程度がほとんどです.私が研修医のときもそうでしたが,特に大学病院での研修は非常に忙しく,激務が続くので,海外の先生方のように数ヶ月ものまとまった期間何処かに見学に行くというのは,かなり難しく,それを実現するとすれば,年1回与えられる1週間の夏休みを他病院への見学に当てることくらいしか出来ないのは,今も変わっていないと思います.現在私の下には12人の日本人若手脳神経外科が出身大学関係なく集まって毎日研鑽を積んでいますが,彼らも私のところに来る前に自主的に病院手術見学に来て,彼らなりのショックを受けて,私のところでの研修を決断して来ているのです.

 

私も30歳そこそこで当時旭川赤十字病院におられた上山博康先生のともに弟子入りするチャンスに恵まれ,当時上山先生がされていた世界最先端の脳血管手術を目の当たりにしてものすごく強いショックを受けました.最初は2年間の研修予定で旭川医科大学脳神経外科から研修医として派遣されましたが,赴任してすぐに「これは2年なんて短い期間では身につけることの出来ない次元の違う脳神経外科診療だ!

」と悟りました.1年目の終わりと2年目の終わりが近づいた時に大学医局に2年間の延長研修をお願いしましたが,認められず一度は2年間の研修で上山先生の元を離れました.しかし,いずれまた戻って,修行するぞと誓い,別の派遣先に向かったのが1995年平成7年の4月でした.しかし,その後は上山先生にも多大な尽力を頂いたのですが,旭川赤十字病院脳神経外科の人事として私を受け入れてもらえず,前職の網走脳神経外科病院での勤務を始めることになったのが1996年4月(平成8年)でした.その後は網走脳神経外科病院で橋本前理事長に臨床をすべて任せたもらえたこともあって,私が理想とする上山先生の手術を忠実に実践し,どうして私の手にあまる手術の場合には旭川から上山先生に手術指導に着ていただいたりして,現在の谷川の手術の基礎が出来上がりました.それが2000年(平成12年)ころです.

 

今日はここまで.また後日続きを書き連ねようと思います.